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2010.01.19

変わり果てたる我が手紙かな ダイジェスト版

ビフォー

弘宣部長殿
 7月1日付け顕正新聞につきまして、新聞の核とも言える論説にとても信じ難い内容でまとめられていると感じました。
 最初は躊躇しておりましたが、先日の御説法をお聞きし、決意を持って筆を取りました。
 新聞の全責任を持たれる会長先生に失礼な事ゆえ、間違っておればどんな処分を受けても構いません。
 親鸞聖人が善導大師を絶賛なされた事は御説法の通りですが、あの一文は聖人が大師の真意を顕かになされるために読み方を変えられておられます。
 それにも関わらず、大師のそのままの下し文のみを載せて、聖人がそれを絶賛され、それ一つで聖人が大師を絶賛されているように読み取れる文章は、まるで聖人のみ心をないがしろにして、教えを曲げて受け取ってしまう恐れを懐かずに居れません。
 更に大師の真意迄誤解される気がします。
 そのまま読むと、なんの疑いもなく心から善に励めば良いと受け取る人が多く現れるのではないでしょうか。
 善を勧められるのは当然ですが、目的がずれてしまえば大変な事になります。
 かって、高額の財施に頑張ったつもりが、ままならなくなり、離れていった人達を何人も見てきました。
 今、また尊い財施のご縁を頂いていますが、誤った気持ちでいくら善を励んでも往生の足しにはならんと教えられた聖人に顔向けが出来ない結果には成らないでしょうか。
 以上、心よりお慕い申し上げる会長先生に対しあるまじき言動であることは断腸の思いでは在りますが、だからこそ心に閉まっておくわけにはいきません。
 今は名を伏せて投函させて頂きますが、この思い受け止めて下さり、然るべき後に名乗り出て、ご処分承ります。


アフター


◆親鸞聖人の善導の絶賛は「その通りだが」、「善導の真意」を明らかにする為に、「読み替えて」いられる。

◆善導の教えだけを載せて、「読み替えていられる聖人の心を」ないがしろにしては、「親鸞聖人の教えを曲げて受け取る」おそれがある。

◆また「善導大師の真意」まで誤解させることになる。

◆あのままだと「こころから善に励めばよい」と受け取る人が多く現れるのではないか。

◆「善を勧めるのは当然のこと」だが、「目的」がずれてしまえば大変なことになる。

◆「誤った気持ち」で、いくら善を励んでも、「往生の足しにはならぬ」と「教えられた聖人に」顔向けができない結果になる。

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